アラカン"BOKU"のITな日常

文系システムエンジニアの”BOKU”が勉強したこと、経験したこと、日々思うこと。

人の期待に応えられなかったからといって、別に気に病むことはないんですよ。

人に期待される。

 

正直、あまりなかったです。

 

たぶん、そういう機会は人よりかなり少なかったんじゃないかな?

 

仕事でもプライベートでも、どちらかというと「アカン人」に近い。

 

そういうポジションでしたし

 

だから、みんなの期待を一身に集めているような凄い人の気持ちはわかりません。

 

けど、その辛さはなんとなくわかる気はします。

 

たま~に、"期待しているよ"なんて人に言われたことはありますから。

 

悪い気分はしません。

 

やっぱり、「期待してもらっているんだから、ちょっと頑張ってみようかな」などと思ったりもしました。

 

でも、やってみると、しんどかったです。

 

期待を裏切らないようにしなくちゃとか考えるのは。

 

普通にできなくなるんですね。

 

妙に失敗しないように緊張したり。

 

やったこともないのに、「できません」とか答えるとがっかりさせるかもなどと考えて、無理をしてやったり。

 

無意識のうちに少しずつ背伸びをしてた感じです。

 

そうして自分では結構頑張ったつもりでも、結果的に期待に十分答えられないときも結構ありまいた。

 

あからさまに「失望した」と言われたり、怒られたり、「期待した自分が馬鹿だった・・」みたいに吐き捨てられたりとかは、さすがにないですが、なんとなく、そういう雰囲気は感じます。

 

そうすると、それなりに落ち込みます。

 

自分はダメなやつだなと思ったり。

 

そうすると、今度は期待されないように逃げようとしたりするわけです。

 

どんどん負のスパイラルにはまるパターンですね。

 

期待されるってつらいもんだな。

 

それにこたえられているうちは良いけど、一度つまづくと大変な重荷になるもんだなと思い知りました。

 

でも、ある日悟ったんです。

 

期待しているのはその人が勝手にしているんであって、別に自分から頼んだわけではないじゃないか・・と。

 

しかも、自分も別に手抜きをしていたわけではありません。

 

日々、自分のできることは一生懸命やっていたわけです。

 

じゃあ、それで十分じゃないですか。

 

何も恥じることしてないじゃないか。

 

だったら、勝手に期待した人が勝手に失望して離れていっても、自分が気に病む必要は一切ない。

 

そういうもんじゃないかと。

 

楽になりましたねえ。

 

いろんな考え方があるとは思います。

 

けど、人間どうせ、いつかは死ぬ有限の時間の中にいるです。

 

だから、あれこれ悩むネタは少ないほうがいいに決まってる。

 

自分ひとりが生きるだけでも悩むネタはつきないのだから、人の勝手な期待や思い込みまで背負い込んでいる余裕はないし、義務もないよな。

 

ということですね。

 

そう思って、一歩引いて見られるようになると、「期待しているよ」という言葉を、純粋でない使い方をする人がいることにも気づけたりもします。

 

誰かをその人のコントロール下に置く手段として「期待しているよ」の言葉を使っているとかね。

 

その言葉をかけることで、上下関係を意識させて言うことを聞くようにしたり、その人の陣営に引っ張り込もうとしたりとか・・。

 

そういう風に人をコントロール下に置こうとする手口なんですね。

 

一種のマインドコントロールです。

 

それこそ、聞き流しておくに限る・・ですね。

 

結論としては。

 

自分が手抜きをせず、一生懸命やったのであれば、自分を恥じる必要はありません。

 

どんな結果であろうとも。

 

自分は全力を尽くした・・と、胸をはっときゃいいんです。

 

そう思うだけで、人生かなり楽になります。

 

少なくとも、自分はそうでした。

 

 


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