アラカン"BOKU"のITな日常

文系システムエンジニアの”BOKU”が勉強したこと、経験したこと、日々思うこと。

どんなことでも「努力する姿」は、何よりもカッコイイのです。

努力することを格好わるいことだと思ってました。

 

本気になることは無様なことだと思ってました。

 

若い時は・・。

 

特に10代のことはひどかったです。

 

徒競走とかで、わざとゆっくり歩くように走ったりして。

 

それで、「自分はわざと負けてやってるんだ。本気なんて、こんなとこではださないんだよ」アピールをできると思っているわけですから。

 

本当にバカ・・ですね。

 

今、思い出しても赤面します。

 

超カッコ悪いです。

 

でも、一応理由はあって。

 

勉強や運動が得意なわけでもないし、笑いをとって人気者になれるような器用さもない。

 

別に顔がかっこいいわけでもなく、歌や絵がうまいわけでもない。

 

ないないづくしの自分でしたから。

 

でも、それを認めるのが嫌で嫌でしょうがなかったわけで。

 

そこから「努力してできなかったら、もっと惨めになるから、最初から努力はしない」と考えるような、後ろ向き思考になってたわけですね。

 

正直、それが決して良いことでないのもわかってました。

 

でも、他の方法も思い浮かばなくて、下手すると精神のバランスが崩れそうになる。

 

だから、どっかで「自分は今その気になっていないだけで、その気になればできるんだ」と無理やり、思い込んで心のバランスをとろうとしてました。

 

しょうがないんだとか、勝手に決めてですね。

 

今、思い返してみると、一生懸命になる能力(スキル)がなかっただけなんだとわかるんですけど、当時では無理でした。

 

一生懸命になれるというのも才能であり、能力(スキル)なんだということを、知らなかったし、学校でも教えてくれなかったですからねえ。

 

だから。

 

その時の自分を客観的に観察する。

 

人より劣っている部分があっても、それを肯定する。

 

それがスタートラインだということも知りませんでした。

 

そして、昨日より今日の方が少しマシになるということを目指して、コツコツ努力する姿が、第三者からはカッコよく見えることも知りませんでした。

 

そうして、心の病気にかかってたんですね。

 

なんというか「ダラダラ依存病」とか「一生懸命拒否症」とでも名前をつけたいような。

 

この病気はやっかいでした。

 

中毒性があって、そこから脱却して「一生懸命に何かをやろう」と心で思っても、煙草をやめるときと一緒で、ふと気が緩んだときに禁断症状が襲ってくるんです。

 

頑張ってやるつもりで机に向かってても、頭の中がぼーっとなって何も入らなくなったり、「やっぱり、やめといたら・・」みたいな囁きととも、「一回くらいやめても大丈夫だよ」と心に働きかけてくる。

 

克服するのは、まあ、大変です。

 

自分が克服しようと思ったのは、30歳を前にした時(まあ・・遅い)です。

 

でも克服できたかな・・と思えるまで、5年か10年くらいかかったような気がします。

 

結局、小さなことでも何でもいいので、毎日コツコツと続けられることを、一つできるようになれるかどうか。

 

そこがポイントでした。

 

ひとつできると、だんだんと他のこともできるようになってくる。

 

そう教えられて、半信半疑で「すべての打ち合わせで議事メモを書く」から初めてみたんですけど、これは効果ありました。

arakan-pgm-ai.hatenablog.com

 

小さなことから、コツコツと・・ですね。

 

これはホントでした。

 

とにかく、もうダラダラ病には戻りたくないです。

 

どんなことでも「努力する姿」というのはカッコイイ。

 

それを常に意識したいです。

 


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