アラカン"BOKU"のITな日常

あれこれ興味をもって考えたことを書いてます

報われない努力の方が普通なんだから、ポジティブに受け止めないとね。

自信をもって、「努力は必ず報われる」と言える人は、本当にすごいなあと思います。

 

だって、そう言えるってことは、「努力をして、得たいと希望した通りか、それ以上の見返りを得ることができた、ごく限られた状況にある人」だということですから。

 

いわば、「選ばれし者」ですよね。

 

日々、努力をしている人は世の中にいっぱいいるわけです。

 

でも、その人たちすべてが、選ばれし者になれるわけないのも、至極当たり前なことです。

 

それに、その一時に「選ばれし者」になれたって、長い人生にわたって、常に報われつづけるわけではないですし。

 

普通に考えても、努力が報われた人と努力がむくわれなかった人のどっちが多いかと言われれば、圧倒的に後者だといえます。

 

どんな大会だって、1人の勝者がいれば、何十人・何百人もの敗者がいるのが当たり前ですし、勝者が敗者より多いなんて状況は、仕事でもスポーツでも考えられないですからね。

 

その希少価値があるからこそ、勝者は賞賛され、尊敬をあつめることができるんです。

 

裏を返せば、圧倒的に多くの人が勝者ではない時間を過ごしているのが人生というやつなんですよね。

 

だから、「報われない努力の方がむしろ普通であって、それを、いかにして、ポジティブに受け止めるか」は、人生を有意義に生きるためには、とても重要なことだよなと思うわけです。

 

自分自身も、そもそも「努力する能力がなくて、それ自体を放棄していた」時もあれば、努力したつもりなのに結果が伴わなくて苦しんだ時期もありました。

 

そんな経験を通じて、なんとなくわかった気がしていることが一つあります。

 

自分の意思でする努力と、人の影響を受けてする努力は全く違うものだということです。

 

自分がやりたくてやっている努力は、報われない時間が長くても、自然にポジティブに受け止められるんですね。

 

でも、例えば親とか、先生とか、上司などの、自分以外の人に言われて無理してやる努力は、それが報われないと感じた瞬間から、とてもネガティブな気分になってしまいがちでした。

 

今考えると、自分の意思ではなく、人に言われてやったのは、努力ではなかったですね。

 

それは、「強制された労働」のようなものでした。

 

自分では努力することの意味も目的も納得できないまま、ただ、やらなければならないという言葉から来る脅迫的な観念にとらわれて、時間を費やしていたにすぎないわけですから。

 

無駄な時間でしたね。

 

ただ、自分で必要性を納得して、自分の意思でする努力に、無駄なものなどありえません。

 

そもそも、努力している時間も大変ですけど、楽しいはずです。

 

大人になれば、少なくとも自分の行動を自分で決められる範囲が増えます。

 

その時に、将来のなりたい自分であったり、やりたいこと・好きなことのために、ポジティブな努力をする時間をいかに作っていけるのかというのは、人生を生きるうえで、すごい重要なんだよなと、思い知る・・今日この頃です。

 


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