アラカン"BOKU"のITな日常

文系システムエンジニアの”BOKU”が勉強したこと、経験したこと、日々思うこと。

正解がひとつしかないみたいな教育ばかりしてて良いのかな?

ひとつの問題を解決する方法の正解は、ひとつではありません。

 

前回うまく行った方法は、その時の正解かもしれないです.

 

でも、同じやり方で、今回もうまくいくことが保証されるわけではないのです。

 

同じように、うまくいくかもしれないし、ダメかもしれない。

 

ひょっとしたら、正解はひとつではないかもしれない。

 

全く違うやり方でも正解が複数あるかもしれない。

 

実際のところ、仕事や、実生活では、そういうケースの方が普通だったりします。 

 

ところが、学校ではずっとテストの正解はひとつでした。

 

数学みたいなものはいいんです。

 

実社会で同じ問題にあたっても、正解はひとつしかないですから。

 

でも、国語とか・・ありえないと思ってました。

 

例えば、小説の一節が掲載されていて、それを読んで答えを書くような問題です。

 

問題には、「この時作者はどのような気持ちだったのでしょうか?」とか書いてあって、選択肢が5つくらいあって、そこから選ばないといけないとかですね。

 

いや、おかしいだろう。

 

自分はそう思ってました。

 

この時作者がどのような気持ちだったか?なんて、本人以外にわかるわけないじゃないですか。

 

回答できるとしたら、「この文章を読んで、作者がどのような気持ちで書いたと、あなたは思いますか?」でしかないです。

 

そうだとしたら、答えは回答する人によって違って当たり前です。

 

だから、こういう問題に正解なんかありません。

 

こういう考え方は面白いね・・みたいに、評価するのがせいぜいのはずです。

 

なのに、5つの中から選べって・・。

 

それは、「この問題を作った人が、この作者の気持ちをどう考えたか」と当てなさいという事でしかないじゃないか。

 

そんな問題が正解できたからって、何の意味があるんだ!

 

なんて、ブツブツ言ってました。

 

先生から見たら、困ったガキだったでしょうけど、いまだに、それが間違っていたとは思えずにいます。  

 

社会では、何が正解かわからない問題の方が多いのが現実なんですよ。

 

それぞれの局面で、自分が状況をどう捉えて解決策を見出すか?

 

それが必要とされる力なんです。

 

そういう問題を解く力が、今の学校の教え方で身につきますか?

 

今の受験制度の中で身につきますか?

 

超疑問です。

 

会社にはいっても、答えを知っている上司からの指示と評価をもらわないと仕事がすすめられない人が、たまにいます。

 

その人が、本当に頭が悪くてできないなら、しょうがないんです。

 

だけど、意外にレベルの高い大学の卒業生だったりします。

 

そういうのを見るたびに、可哀想にな・・と思います。

 

学校での教え方=教育の犠牲者に思えますからね。

 

これから先は「人工知能」と共存して仕事をしていく機会が、どんどん増えます。

 

すでに正解がわかっている問題を、一度、人工知能が学習してしまえば、そこから先、おなじことをやれば100%人間は勝てません。

 

だから、人工知能と共存して人間が仕事を奪われないためには、人工知能にできないことをしなければなりません。

 

それは何か?

  • あるものを組み合わせて、新しい何かを作り出す
  • 今までとは別の視点で問題をとくアプローチをする
  • 今までの正解=常識を疑い、新たな正解を作り出す。
  • 理屈でない感情を理解すること

などなど。

 

今の学校教育の中では、評価されるどころか、劣等生として潰されかねない資質ばかりですよね。

 

だから、心配なんですね。

 

特に、今、学校で優等生である子ども達。

 

正解のない問題を、自分で考える力をつけずに就職する年齢を迎えたら、すでに、人工知能にできる仕事をすべて奪われてしまっていた・・なんてこともありえますからね。

 

本当に学校教育を根本から見直さないままでいいのかなあ?

 

日本の先行き、真っ暗なんてことにならないかな?

 

考えたくもないけど・・ふと、頭にうかんじゃうんですね。 

 


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