アラカン"BOKU"のITな日常

あれこれ興味をもって考えたことを書いてます

ちょうどいい感じの人間関係の”おとしどころ”は、どの辺りなんでしょうね?

 人間って、複雑です。

 

いい人か、悪い人かという線引きも、難しいです。

 

ちょっとしたキッカケで豹変したりもします。

 

そういう時、「ああ、この人の一面にだけ焦点をあてて見てしまってたな」と反省はします。

 

でも。

 

わざといい面だけを見せられているのか、それとも本質なのか?

 

本当のところはわかりません。

 

よく、DV関係の話で、さんざん暴力をふるわれて傷だらけの女性が、「でも、優しいところもある人なんです」と言っているコメントをよく見かけます。

 

そうだろうな・・とは思います。

 

いい人100%とか、悪い人100%の人間はいません。 

 

ただ、理性で悪い人の部分を制御できる人なのか、制御できない人なのか?の違いがあるだけです。

 

だから、「本当は優しいが何らかの原因があって暴力を振るっている」でも「自分勝手で暴力的なのだが、なんかの気まぐれで優しくふるまう時がある」のかの違いに意味はありません。

 

少なくとも、理性で悪い人の部分を制御できない人であることは間違いないのですから。

 

そういう人に近づくべきではないのです。

 

確実に辛い目にあうことがわかってますからね。

 

などと、結果だけ見ている第三者ならいえます。

 

でも、そういう人かどうかなんて、最初からわかるはずないじゃないですか!というのが、実際でもあるわけです。 

 

本性を隠そうと思えば、取り繕うことはできますし、そんなことばかり考えていたら、人間関係を構築するなんてできません。

 

人間関係って、濃密にありすぎても生きづらくなってしまうものですけど、全く無いと、これも生きづらいです。

 

人間関係の落とし所は難しいよねと、常々考えていました。

 

そしたら、この間読んだ、遥洋子さんの「私はこうしストーカーに殺されずにすんだ」という本に、ちょっと目から鱗的な文章を見つけたんです。  

 

本自体、経験した人にしか書けない迫力があって、特に女性は読んでおいた方がいいなと思うような本だったんですけど、特に以下のくだりに感心しました。ちょっと引用します。

100%いい人もいないように、100%悪人もいない。

そこそこに距離を持って、お付き合いを続けることを勧めたい。

入り込みすぎると、いらぬお世話まで抱えることになり、抱えきれないと、後で親切心が憎悪を買うことにもなりかねない。

適度な距離。これができない相手とはお付き合いしないほうがいい。

密接な関係性で安心するタイプの人には孤独な生き方に見えると思うが、あえて、孤独を選んでほしい。

緊密さが危険と隣合わせなら、孤独でも生きていたほうが得だ。

誰とも、たまに会う、ということを提案したい。

なんせ、”たまに”だから、熱すぎる人や急接近したい人、”たまに”を待てない人とは自動的にお付き合いの縁がきれる。

結果、安定した関係性を継続できる人のみが残る。

 

ああ、そうだよな。と合点がいった気がしました。 

 

適度な距離。

 

たまに会うくらいの関係性。

 

これが大切なんですよね。

 

最初から相手がどんな本性を持った人なのか?はわかりません。

 

でも、必要以上に距離をつめたがる相手とは、その時点で距離をとるようにしましょう。

 

これはものすごくわかりやすいです。

 

しかも、適度な距離を保っているからと言って、その先の人間関係が進展しないかというと、そんなことがないのは、経験的にわかります。

 

信頼関係にしても、愛情にしても、そういう適度な距離の関係を5年・10年・20年と続けていくと、自然に積みあがっていくものなのは間違いないですから。

 

知っている限りでも、仲の良い夫婦ほど 、お互いに自分のやりたいことをノビノビとやっていて、お互いに依存しすぎてない、”適度な距離”をもっています。

 

適度な距離だから、信頼関係とか、お互いへの愛情とか、そういうものが薄いかというとそんなこともないわけです。

 

その積み重ねのない信頼関係とか愛情って、結局、何に基づくものかといえば、お互いの願望まじりの思い込みだけです。

 

こうあってほしい!っていうね。

 

それは危険ですし、長続きするわけがないです。

 

だから、「適度な距離」と「安定した継続性」という2つのキーワードはとても大切です。

 

これが、人間関係の落とし所ってやつかもしれませんね。

 


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