アラカン"BOKU"のITな日常

あれこれ興味をもって考えたことを書いてます

自分の限界を知り、その中で最善をつくせるなら、それで十分にカッコイイよね

人は平等ではないです。

 

持って生まれた才能にだって差があります。

 

残念ながら・・。

 

誰でも努力すれば一流になれるわけではないです、

 

自分の才能でたどり着ける限界は存在するんです。

 

自分の限界とか、自分の器とかともいいますね。

 

若い時は、その自分の器がどの程度の大きさか、まだわかりません。

 

だから、まだ頑張れば何にでもなれると、色々と妄想してました。

 

野球やってスーパースター(当時は、阪神の江夏とかでしたけど)になって、バッタバッタと三振をとる。

 

オリンピックの100mで世界記録をだして、日の丸背負ってウイニングランする。

 

ギターを引けば超絶テクニックのギター・ソロで何万人もの大観衆を魅了し、スタンディングオベーションを受ける。

 

などなど。

 

頭の中の自分には限界がありません。

 

でも、現実は限界だらけです。

 

ギャップがひどいわけです。

 

そんな現実を認めるのは、やっぱり嫌なんです。

 

若い時は特に。

 

だから、やたらと虚勢を張ったり、わざといい加減にやって、「やったらできるけど、わざとやってないんだ」的なポーズをとったりしてしまうんです。 

 

仕事でも、おんなじでした。

 

同じようにやってるのに、いつも高い業績を上げる人間ってのがいるんですね。

 

なんとなく、才能とか能力の差ってのがあるのかな・・と思いつつ、認めるのは、やっぱり嫌なんです。

 

だから、「あいつは運が良いだけだ」とか、「要領よくやってるけど、そのうちボロをだすさ」などとくさして、それをごまかしたりしてしまいます。

 

それくせ、こっそり真似をして、その差をうめようとしたり。

 

でも、やっぱ、真似してもうまくいかないんですね。 

 

へんな話、99.9%同じ様にできててもだめなんです。

 

麻雀で例えると、最後のツモで当たり牌を引いてテンパイ崩さないといけなくなるやつと、ツモアガリできる牌をひくやつの差。

 

そんなものが存在します。

 

自分は前者で、うまくいくやつは後者。

 

それで結果としては雲泥の差ですからね。

 

こういう運も才能や能力の一部なんだと、思い知る結果にしかなりません。

 

そういうことを繰り返しながら、自分の限界とか器というものを学んでいき、どこかであきらめます。 

 

自分は、なんかでトップをとったり、世の中を驚かせたり、社会に影響を与えるようなすごいことはできるような人間ではないみたいだ。

 

自分は凡人なのだ・・と認める時がくるわけです。 

 

でも、認めることは、負けじゃないんですね。

 

ここが本当の人生のスタートラインになるんです。

 

そうして自分を認めてやれると、凡人は凡人なりのプライドが生まれてきます。

 

別にスーパースターだけで世の中ができてるわけじゃない。

 

凡人として普通に生きていくことだって、十分に難しいし、世の中の役にはたっている。

 

だから、普通に生きてるだけでも、立派なもんじゃないか!

 

そう胸をはれるようになってくるわけです。  

 

で、今はどうかというと。

 

自分の限界を知って、その中で最善をつくせればいいんだ。

 

最善をつくすということは、それだけで十分カッコイイぞ。

 

そう思ってます。・・本気で。

 


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