アラカン"BOKU"のITな日常

あれこれ興味をもって考えたことを書いてます

つまらない人生や幸せな人生、色々あるけど、最後は迷惑かけずにきれいに終わりたいかな。

なんとなく人生の終わり方について考える時間が増えてます。

 

確実に来ますし、近づいてますからね。

 

とはいえ、それ自体はそう怖くはないです。

 

不思議なもんですけど。

 

なんだかんだ言って、約60年ってのは長いです。

 

だんだんと、人生が終わるということを、普通に受け入れられる感じにはなってくるみたいです。

 

だから、死ぬこと自体に怖さは感じないんですが、そこに至る過程で認知症になったり、病気になって、家族や世話になった人に迷惑をかけて生きながらえるのは怖いです。

 

それまでの人生が幸せだったか、つまらなかったかは、人それぞれですし、同じ様な人生送っても、どちらに感じるかは、その人の考え方次第ってこともあります。

 

でも、最後に死ぬ前にどう思えるか?が一番大事なんだろうなって思っていて、そこで「ああ、いい人生だった」と言うためには、できるだけ周囲に迷惑をかけてるという心の負い目を感じたくないんです。

 

たまに、ふと、想像していまうんです。

 

病気や事故で寝たきりになって、ただ生かされている状態になってる自分の姿とか。

 

そこまで行かなくても、病院に入院して、お薬の力でなんとか生かしてもらっている状態になった自分の姿とか。

 

ああ・・、ゾッとします。

 

自分という存在が、他の人の迷惑にしかなってない。

 

耐えられないですね。

 

でも、そうなる前に、自分で自分の命をたって人生を終わりにする方法も考えるんですけど、それも難しい。

 

たとえばの話。

 

自動車の前に飛び出してみます?

 

いや、論外ですね。

 

自動車の運転手さんに多大なる迷惑をかけます。

 

じゃあ、電車なら?

 

だめですよね。

 

電鉄会社や乗客にも迷惑かけるし、衝撃が強いから肉片になって飛び散るかもしれません。 

 

その肉片を電鉄会社の人とかに拾ってもらわないといけないとか、なんらかの損害賠償が残された両親や家族に請求がいくかもしれないなんて考えたら、ぞっとします。

 

じゃあ、ひとり静かに部屋の中で首をつるとか?

 

いやいや、その部屋で自殺があったというだけで事故物件になって、入居者がはいらなくなったりすると大家さんだったり、あとにのこされた家族に迷惑かけますわね。 

 

じゃあ、自然の中なら?

 

それもだめですね。

 

海に飛び込んでも、どこかに流れ着いたりして、魚に食われた無残な体を誰かに片付けてもらうような迷惑をかけるかもしれません。

 

山でも川でも、人が来るようなところは同じです。

 

あーー、もうどうすりゃいいんだ・・って感じですよね。 

 

結局、多少不細工でも健康に気をつけながら、しっかりと生きていくのが、一番世の中に迷惑をかけない方法なんだなと思います。

 

そして、自発呼吸ができなくなったり、意識がなくなったら時点で、延命治療は拒否します・・って、宣言しておく。

 

SDDとかいうものを書いておく方法とかもあるみたいです。

医学的延命処置を拒否する意思表明書(SDD)の記入方法


このあたりが落とし所なんでしょうかね。 

 

それと、残りの時間を、人として正しく生きる。

 

これを心がけておくしかないのかな。

 

死ぬときに、人生が評価される。

 

なんか、そんな気がどんどん強くなってきています。

 

だって、最後はやっぱり「運」ですものね。

 

自分でコントロールできません。

 

宗教にはまったく興味はないですけど、最後の最後に、人として正しく人生を全うできたかどうか、それが、その「運」を引き寄せてくれるかもしれない。

 

そう信じたい気持ちはありますから。

 


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