アラカン"BOKU"のITな日常

あれこれ興味をもって考えたことを書いてます

働き方改革=長時間労働削減って単純に考えると本質を見失うぞ!

働き方改革って言葉、なにげに使ってます。

 

でも、長時間労働削減のことだけ意識して使われてる?・・

 

そう、感じることも増えてます。

 

ちょっと違うんじゃないかな。

 

本当はそれだけじゃなかったはずなんですけどね。

 

働き方改革について、自分の理解はこんな感じです。

 

少子高齢化労働力人口が減少している。

労働力不足が深刻化する懸念がある。

女性とか高齢者とか障害者とかにも働きやすい環境を整備して、労働力人口を底上げしないといけない

でも、現状は長時間拘束・会社側都合優先の働き方が蔓延しており、能力があっても、それにあわせられなくなったらはじき出されてしまう。

だから、そういう労働環境を改善し、働き方のバリエーションを増やし、効率的な労働力の確保に努めていくことで、労働力不足に対応していかなければならない。

 

正直言って、最初のころに何かの資料で読んだ受け売りです(笑)。

 

でも、非常に納得できた説明でした。 

 

上記の理屈を正とすると、「働き方改革」の本質は、ちょっと違ってきます。 

 

つまり、特定の個人に依存・・つまり「属人化」・・している仕事の工程を分析し、細かいパーツにわけ、分業化できるようにしていくなどの仕事の再構築こそが、「働き方改革」の本質になるわけです。

 

何故か。

 

時間な制約とか能力的な制約のある人が活躍するには、その制約の中でやれる単位に仕事を分業化するなどの仕組み作りが、ほぼ、唯一の方法論のはずだからです。

 

それをしないで、単に「長時間労働するな」と指示をだすということは、「より短い時間の中で、今までと同じだけの仕事量を終わらせろ!」という無茶ぶりでしかありません。 

 

そんなもの改革でもなんでもありませんよね。 

 

繰り返しになりますが、働き方改革の「働き方」は、「多様な従業員に人間らしく、かつ、効果的に働いてもらう方法論」をささないと、本来の目的と一致しません。

 

働く側(労働者)の働き方ではないはずです。

 

なのに、いつの間にか「働き方」が「働く人個人がいかに働くか?」っていう意味にすりかわり、かつ、残業を月100時間まで認めるとか認めないみたいな枝葉の話ばかりに焦点があたっている。

 

うーーん。

 

なんか、楽な方に流れてないか?

 

そんな風に見えるんです。

 

気のせいなんでしょうか。 

 

まあ、それを提唱している本丸の官邸や官庁自体が、一番「働き方改革」を無視しているわけなので、そんなふうに見えるのも、当然なのかもしれませんけど。

 


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