アラカン"BOKU"のITな日常

あれこれ興味をもって考えたことを書いてます

寂しいから、死んだら夫婦二人分の骨を混ぜてガラガラポンがいいな。骨壷なくてもいいし。

 生まれてはじめて、テレビの訃報で泣きました。

 

小林麻央さんて、すごい女性ですね。

 

彼女の純粋さと愛の強さに、人生への向き合い方を、改めて学ばせていただいた気がしています。

 

心よりご冥福をお祈りします。

 

そのニュースをきっかけに家族で話をしていて、ふと、何年か前に読んだブログを思い出したんです。

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この中にこんなエピソードが書かれています。

Cさんの実家は福岡とか。その両親は非常に仲がよく、今は同じ骨壺に入って眠っているとか・・・


聞くと、父親はどこかの会社のエライ人だったらしく、家庭は裕福だったとか。

 

そのうち母親が痴呆気味になり、高級老人ホームに入ったのだが、母親が先に亡くなり、残されたパーキンソン病にかかった父親が、その母親の骨壺を離さないで、骨壺と一緒に寝ていたとか・・・。

 

それで骨壺が壊れたりすると困るので、位牌に変えさせたら、今度は位牌を持って寝ていたとか・・・


その父親もホームで亡くなり、遺言によって、父親の葬儀の時、Cさんたち遺族が母親の骨壺を、父親の骨あげの場に持って行って、大きな骨壺に、父親と母親の遺骨を交互に納め、一番上に二人の喉仏を置いたという。


そして今両親は、同じ骨壺に入って福岡の墓地に眠っているという。

 

 

これが、ものすごく印象に残ったので覚えてたんですけどね。

 

なぜ、印象に残ったかというと。

 

自分も同じ状況になったら、たぶん、このエピソードの父親と同じことするだろうなと思ってたからです。

 

ただ、周囲の人たちは、どちらかと言えば一緒の墓にはいりたくないみたいに言う人が多くて(特に奥さん側・・)、意見がうちの夫婦とまったく合わないので、人には言ってなかったんですけどね。

 

なので、どっちか残った方の遺言で、二人分の骨をなんかでガラガラポンして、その辺に置いといてもらえればいいや・・なんて考え方をする人が、他にいるとも思ってなかったわけです。

 

ところが、このエピソードの夫婦は、やり方は違えど、根本的な部分では同じですから、「あー。他にもいたんだ。」・・という、ちょっとした感動がありました。

 

正直、いろんなことを言う人がいます。

 

仏教的に意味があるとか、ないとか。

 

お墓の大きさによっては、二人分の骨を入れるような大きな骨壷ははいらないとか。

 

でも、そういう問題ではないんですよね。

 

とりあえず、骨になろうがなるまいが、一緒にいないと寂しいから一緒にいるだけなんです。

 

気休めだろうで良いのです。

 

死んでも、二人の骨を混ぜてもらえると思えば、安心できる。

 

それだけなんです。

 

世の中を生きていくために、綺麗事だけではいきません。

 

でも、最後の最後の部分で、それくらいの「純粋な部分」を持っていてもいいじゃないか。

 

そう思うんです。

 


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