アラカン"BOKU"のITな日常

文系システムエンジニアの”BOKU”が勉強したこと、経験したこと、日々思うことを書いてます。

福島原発事故裁判で、「全電源喪失リスクの放置」が争点にでてこないのが不思議です!

こんなニュースを読みました。

www.sankei.com

東電の勝俣元会長ら3人への業務上過失致死傷害罪の初公判です。 

刑事事件ですし、被告側が無罪を主張して争うのは、弁護士がたてる戦術として考えるとおかしくはないです。 

それに今更、この3人に刑事罰を課して、何かが変わるのか? 

個人的に、そう思ったので、さっと読み飛ばしてしまいました。 

マスコミ各社の扱いも、わりと簡単なものでしたし。 

でも、何かひっかかるものがありました。 

心の隅っこに魚の棘でもささったみたいな感じで。 

気持ち悪いんで、「何故、ひっかかるのか?」を考えつつ寝ました。 

で、翌朝わかったのです。  

 

あの規模の地震津波を予見するのは難しいかもしれない

 

勝俣元会長ら3人が無罪を主張する理由の「津波事故の予見は不可能」という言葉がそのひっかかりでした。 

順を追って説明します。 

この規模(M9)の地震津波の発生を予見するのは不可能だった。

それについては、まあ、理解できます。

自分も含めて、誰も予想してなかったですからね。

でも、関連記事等は読み込んでいくと、福島原発事故の最大の問題点は「電源喪失(ステーション・ブラックアウト)」が発生したことみたいなのですね。 

原発は冷却ができなくなったら、炉心が溶融し外部に放射性物質を撒き散らすリスクが最大化するものです。 

だから、備えとして、何らかの事故により電気の供給が停止しても、最低限冷却を維持するための非常用電源の設備は準備してあります。

当然。 

福島原発にもありました。 

でも、施設内にあったので施設と一緒に水浸しになって使えなくなった。

そういうことなのです。

 

非常用設備と通常電源設備を同じ場所に置くリスクは予見できるはず

 

繰り返すと。

福島原発の最大の問題。

それは「非常用電源設備を、なぜ他の電源設備と同じ場所において大丈夫だと思っていたのか」ということです。 

これって、どう考えてもおかしいんです。

ITの世界での例におきかえてみます。 

これって「サーバーの復旧に必要なバックアップファイルを、そのサーバーのハードディスクにおいてたので、復旧できません」って言ってるのと同じです。 

それで「ごめんなさい」と言われたら、どうしますか?

100人が100人とも「お前はバカか!」と怒ると思うんです。

壊れる原因は予測できません。

過去に例のない地震かもしれないし、テロかもしれない。

気の狂った技術者が退職の腹いせにハンマーでぶったたくかもしれない。 

可能性は無限です。

でも、問題はそこにはないのです。

サーバーの復旧に必要なバックアップを適切な場所に保管していれば、早期復旧は望めますから。

だから、なぜサーバーが壊れたか・・の問題ではなく、不測の事態がおきたときに、共倒れにならない配慮をしていたか?だけが問題になります。

その観点で考えれば。

今回の福島原発の話も、「非常用電源設備を同じ施設内ではなく、高台等の別の場所に設置するようにしていなかった」という事が問題であって、通常電源設備が壊れた理由が津波だったかどうかではないはず。 

そう個人的には思ってます。 

 

意図的に論点をすりかえているのか?と思ってしまう

 

なのに、この福島原発事故の話になると、そこが追求されずに、「津波が予見できたか?」って話にすり替わっているように見える。 

それでいいのか?

いっぱい、頭の良い人たちがかかわっているのに、それに気づいてないということがあるのか?

ひょっとして、自分の考えは根本的に間違っているのか?

どうにもひっかかります。

でも。 

この全電源喪失については、事前に問題として認識されてました。 

その証拠に、東日本大震災が発生する前の第一次安倍政権時代(2006年)に、当時の安倍首相がこんな事を国会で答弁されています。

matome.naver.jp

つまり簡単にいうと。 

問題としてはわかっていた。 

でも、まさか施設が水浸しになんかならないだろう・・、コストもかかるし・・と考えて放置していた・・ということなんですよね。

それって・・。

サーバーの元データと同じ場所にバックアップも置いといた。

だって、別の場所においたらコストかかるし。

いちおう、バックアップ置いてるっていう事実はあるから、嘘いってないし。

サーバー壊れたら共倒れだけど、大丈夫だよ。

今どきのサーバー丈夫だから、壊れないよ・・・。

などと自分らが言っているのと同じです。

あきらかに「ふざけんな!」レベルだと思うんですけどね。

こうなると。

もはや東電の問題ですらない。

原子力を推進する立場全体、ようするに「国家ぐるみ」の確信的手抜きだった。 

そう見えるんです。 

そこを追求されると、国は困るでしょうね。

必要な安全対策に目をつぶって、経済性だけを追求しようとしてきた原発政策そのものに言及が及ぶリスクがありますから。 

だから。

今回の訴訟って。 

国の原発推進派の人たちからすると、そっちに議論が波及するのが一番嫌なんじゃないか?とも思えるんですね。 

だとしたら、この東電の元幹部の人たちの訴訟自体が実は「とかげの尻尾切り」で、本当に悪いのは、裏に隠れてるんじゃないか。 

そんな考えもでてくるわけです。  

まあ、本当のところはわからないです。 

でも、今から再稼働しようとしている原発は、本当に大丈夫なのか? 

その不安は消えないんですけどね。