アラカン"BOKU"のITな日常

文系システムエンジニアの”BOKU”が勉強したこと、経験したこと、日々思うこと。

良い会社と悪い(ダメな)会社の分岐点。もうひとつ大切な「会社の哲学」のことを思い出しました。

良い会社だったのが、悪い(ダメ)会社になっていくときって、こんな感じだったな・・と2回続けて書きました。

 

もう、漏れはないはずだったんですけど・・、まだ、ありました。

 

多様性がなくなると、居心地は良くなるけど、会社は競争力を失っていたように感じているという流れで、「多様性」が大事だったんだなと締めたのが前回でした。

 

それで、「じゃあ、多様性があればそれだけで良かったのか?」と考えたら、とても重要なことが漏れてました。

 

なにか・・というと。

 

一言で言えば、「会社の哲学」です。 

 

苫野 一徳さんが著書で「哲学は”本質”を洞察すること」と書かれておられますが、ここでは、それにならって「会社の根っこである本質的な思い」のことを哲学と呼んでます。  

 

それは、例えば「お客様を笑顔にする」とか「お客様のことを一番に考える」みたいなシンプルな言葉で共有されます。

 

会社によって違うでしょうが、入社した時から、毎日毎日繰り返し聞かされて、その言葉の本質が意識にすりこまれます。

 

その本質は、個人的には、物事を考えるときの「主語」だったなと思っています。 

 

例えば、上記のような言葉だと、主語は「お客様」です。

 

良い会社は、その本質の共有ができてます。

 

だから、前回、個性的すぎる人ばかりが上にいて、各々、違う指示をしてくるので、下は大変だった・・と、書きましたが、そんな状態でも本質はぶれていなかったなあ・・と思い出します。

 

何をするにせよ、判断基準は「お客様は喜ぶのか?」「お客様にどんな得がある?」のように「主語」がそろっている状態なんですね。

 

そうすると、「多様性」とは、目指すゴール同じで、たどり着くための道筋が違うだけだという感じになるんですね。  

 

なんですけど・・。

 

今、思い出すと会社がダメになっていくところで、間違いなく「会社の本質的な思い」の部分は薄れていっていたなと。

 

具体的な例として、そうですね、「お惣菜の天ぷら」を売っているとします。

 

天ぷらって、具材の部分がほぼ原価です。

 

衣の部分の原価なんてごくしれたものです。

 

だから、一時的に売上と利益をあげようと思うと、衣を多くつけて分厚くして天ぷらを大きく見せて、中の具材をその分小さくすればいいんです。

 

極端なことをしなければ、それほど味を落とさずに利益をあげられるので合理的かもしれません。

 

でも、それを上の人が見つけたときに、「これでお客様が喜ぶわけがない!」と叱責し、分厚い衣の天ぷらをすべて破棄させて、きちんと薄い衣で作り直させるのが、「お客様」が主語の会社。

 

それを販売上の工夫として許してしまうのが、その本質が薄まってしまって、「自分たちの目先の売上・利益・効率」を優先してしまうようになった会社。

 

こう考えるとわかりやすいんじゃないですかね。

 

とにかく、「会社の本質的な思い」に忠実であるというのは、時に常識とは真逆の判断をしなければならなくなったりします。

 

極端な例えばを言えば、店のある地域が被災した時に、儲け度外視で、店にある商品を無料で支援品として配ることが「お客様」を主語とした時にやるべきことだったりするわけですよ。

 

そういうことは、トップの有無を云わせぬ意思決定と、根っこを共有して、それに誇りを感じることのできる社員の組み合わせでないと実現できません。

 

ですが、そういう目に見えない思いの部分って、やっぱり「お客様」には伝わっていて、長期間に渡って会社が栄えるのを下支えしてくれるんでしょうね。

 

そういう部分が、波風たたない穏やかな日々の中で、少しずつ教科書的に正しい論理や常識的な判断上書きされて、どんどん薄まっていくんですね。

 

そうして、普通の会社になっていき、だんだんと競争力を失って、ダメになっていったというのも大きかったんだよな・・と今になればわかります。

 

体にすりこまれていたはずなのに、薄れていくのは速いんです。 

 

しかも、その渦中にいるとわからないのです。

 

それが「ゆでがえる」の正体だったのかな。

 

そんなことを考えてしまいますね。

 


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