アラカン"BOKU"のITな日常

あれこれ興味をもって考えたことを書いてます

欲望と能力の不均衡(ギャップ)が不幸の本質!だから、それをなくせばいい?いや、そうなんだけど。

ちょっと哲学っぽく。

 

不幸ということについて、考えました。

 

実は、定義としては昔から気に入っているのがあります。

 

18世紀の哲学者、ジャン・ジャック・ルソーの著書「エミール」の以下の部分なんですけど。

 

わたしたちの欲望と能力のあいだの不均衡のうちにこそ、わたしたちの不幸がある。

その能力が欲望とひとしい状態にある者は完全に幸福といえるだろう。

そこで、人間の知恵、つまり、ほんとうの幸福への道はどこにあるのか。

それはわたしたちの欲望を減らすことにあるとはいえない。

それはただ、能力をこえた余分の欲望をなくし、力と意志とを完全にひとしい状態におくことにある。

そうすることによってはじめて、いっさいの力は活動状態にあり、しかも心は平静にたもたれ、人は調和のとれた状態に自分を見出すことができる。

 

いやあ、深いです。

 

わたしたちの欲望と能力のあいだの不均衡・・つまり、「欲望と能力のギャップ」が不幸の本質だから、能力を超えた余分な欲望をなくして均衡させていけばよい。

 

簡単にまとめると、こういうことなんですが、いや「まったく、そのとおりだ!」と思いますよ。

 

今、思い返せば、自分らが人生でやってきたことは、まさしくこれですからね。

 

自分の能力の限界がわからないうちは、大なり小なり夢をみます。

 

例えば、ちょっと仕事がうまくいきだすと、自分は超優秀だから、独立起業して大金持ちを狙えるんじゃないかとか。

 

例えば、ちょっとスポーツの大会で何回か良い成績が続くと、このままプロになってスター選手になれるんじゃないかとか。

 

そういう感じから、もっと小さい欲望。

 

例えば、麻雀やってて、最後のツモで役満つもって大逆転でトップをとってやるとか。

 

などなど。

 

でも、実際には、望むとおりにはならず、幾ばくかのストレス(自分は不幸だという感覚)を抱えて生きることになります。

 

だからといって、欲望いだくな=高い望みをもつな・・と言われても、無理なわけで、無理だろうな・・と思いつつ、欲望をいだいてしまうという繰り返しをしてしまいます。

 

そうして、欲望をもっては、うまくいかなくて、そのギャップに苦しんだり、悩んだりしながら、自分の能力をのばしつつ、自分の能力で望みうる「目標とか欲望のレベル」を学んで、調整しながら歳を取っていくいくわけです。 

 

そうしてきた結果。

 

最近なんて、質素でも食事にこまることもなく、雨風しのげる家があり、健康で普通に仕事したり、趣味に没頭したり、家族と話したりできる・・こういう普通の暮らしができることが一番幸せだなあなんて、ふと、思えるようになってたりします。

 

これがまさに、「能力をこえた余分の欲望をなくし、力と意志とを完全にひとしい状態におく」ことに近づいているってことなんだろうなと、今ならわかります。 

 

だって、普通に毎日暮らすという欲望レベルなら、さすがに自分の能力でも不均衡(ギャップ)はおきません。

 

お金の無駄遣いと健康には気をつけないと・・くらいでしょうか。

 

たしかに、今は少なくとも「不幸」だとは思ってません。

 

だから、良いんですけど。

 

ちょっと、ひっかかるのは、その状態になってから、本を読み返して、「ああ、そういうことだったのか」と感じるとうのは、なんか、まんま・・結果オーライじゃないかということです。

 

十分、挫折して悩み苦しんだ結果でしたから。

 

せっかく本は読んでるわけだから、もう少し早く、その本質に気づいて、自分の意思でそうできるように自分をコントロールとか、できなかったのかなあ。

 

そしたら、経験する必要のなかった挫折や悩みもあったんじゃないかなあ。

 

そんなことを、今頃になって思ってしまったりします。

 

まあ、何度やり直しても、できないんでしょうけどね。

 

この辺りが、たとえば苫野一徳さんみたいな哲学者と、自分みたいな凡人の差なのかと思い知る、今日このごろです。

 


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