アラカン"BOKU"のITな日常

文系システムエンジニアの”BOKU”が勉強したこと、経験したこと、日々思うこと。

褒めるときは褒める。叱るべきときは叱る。嫌なことは嫌だと意思表示する。

メリハリは大事です。

 

何事につけても。

 

人間関係も同じです。

 

褒めるときは褒める。

 

叱るべき時はしっかり叱る。

 

嫌なことは、嫌という。

 

そうしないで、無理した笑顔で、その場の関係だけ取り繕ってると、腐った関係になります。

 

わがまま放題で、自分勝手な人間とか。

 

非常識な大人。

 

そういう人たちは、そういう腐った関係の中から生まれてくるんだなあ・・というのを、散々見てきましたからね。

 

まあ、怒ったり、嫌なことを嫌と言うのは確かに難しいです。

 

体力も、なにより、気力がいります。

 

それに、反射神経的に怒ったりするのはダメなんですよね。

 

一度、深呼吸して落ち着いて、やはり、言うべきと思ったときだけにしようということは心がけているので、そこで考えすぎてしまう。

 

それで、タイミングを失ってしまう失敗は、自分もしょっちゅうしています。

 

こんな事書きながら、お恥ずかしい話なんですが。

 

でも、反省はしてます。

 

もうひとつ難しいのは、ただ怒ればいいわけでもないことです。

 

良い怒り方と、悪い怒り方がありますから。

 

一番最悪なのは、自分の都合で感情のままに怒ることです。

 

一番簡単で誰にでもできるんですけどね。

 

それは何も生みません。

 

ただ、壊すだけです。

 

人間関係から何もかも。

 

何せ、怒っている側が感情にまかせて、負の感情(憎しみとか・・)をぶつけているだけですから。

 

怒られた側にも不快感とか、憎しみとかを負の感情しか残しません。

 

負の循環しか残しません。

 

正しいのは、怒るというより、叱るニュアンスですかね。

 

感情とは関係なく、冷めた頭で怒らないといけないんです。

 

内面は冷めてて、表面は熱く。

 

難しいんですけど。

 

それを完璧にやっている人たちも、たくさんいるわけです。

 

例えば、厳しく叱るのに何故か嫌われない上司の方とかは、きっと、それができている人です。

 

あと、きちんと子供の躾ができているお母さんとかも、そうですね。 

 

そういうお母さんが子供に怒っている光景は、自分の子供が小さい時とかにはよく見てたのですけど。

 

激しく怒っているのに、なんか愛情を感じるんですよね。

 

自分のために怒っているのではなく、子供のために怒っている。

 

その気持がそうさせるんでしょうけど。

 

なのに、たまに勘違いしている人がいます。

 

叱るべきときに叱らないのを、優しさだと思っている人が。

 

そんな人に限って、優しさアピールを過剰にしたり、子供を叱ってくれている先生に文句を言ったりしがちです。

 

でも、違うと思うんです。

 

たぶん、その人は、怒らない・叱らない・・ではなく、「怒れない・叱れない」のです。

 

なぜかというと、今、相手に厳しいことをいうことで、自分にかかるストレスを避けることの方を、優先する気持ちがあるから。

 

その場を笑顔で誤魔化して、問題を先送りするか、誰か他の人がそんな役回りを引き受けてくれるのを待っているとかね。

 

単に、相手のことを大切に思っていないだけだし、逃げているだけ。

 

優しいんじゃなくて、心が弱くて、実は冷たい。

 

それだけのことでしかないんじゃないかなあと・・感じます。

 

自分は、できるだけ、そうなりたくない。

 

感情的に怒りをぶつけるだけの人にも、怒れないだけの人にも。

 

そう思ってきたつもりですが、まだまだ、達人には程遠いんです。

 

あの、お母さん方のようには・・なれません。

 

やっぱり、怒ったり・叱ったりする才能ってのもあるのかな・・と思うんですけど、なろうとする努力は続けないとね。

 


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