他人にどう思われるかなんて気にすること自体が無駄なんだよね
年齢を重ねてよかった事のひとつが、他人の眼が気にならなくなったことです。
若い時。
特に10代のころは、何かと「他人からどう思われるか」なんてことを気にすることが多かった記憶があります。
人と変わったことをしたときとか。
ミスしたときとか。
予期につけ悪しきにつけ、それが他人の眼にどううつるかを気にしてました。
でも。
60歳を超えた今思うことは「しょうもないことをしてたなあ」のみです。
他人の眼にどううつるか?・・なんて、気にしても仕方ないですから。
他人がどう思うかなんてコントロールできないから
どんな素晴らしい人でも、100%の人に好かれることは不可能です。
嫌われない・・と言い換えても同じです。
逆に、どんなクソ野郎でも100%の人に嫌われることはないでしょう。
なぜかというと。
好き嫌いの基準は、人によってみんな違うからです。
100人いれば、100通りの好き嫌いの基準があるわけです。
同じことをしても、好きと思う人もいれば、嫌いだと思う人もいる。
非のうちどころのない神様のような人格者がいても、その人に対して「みんなに好かれているのが気に入らない!」という理由で嫌うへそ曲がりは、必ずいます。
そのうえ。
人間は嘘をつく生き物です。
好きな相手に対して、嫌いな態度をとることもあれば、嫌いな相手に、好きに見せかける態度をとることもあるわけで、そんなもので一喜一憂するだけ、エネルギーと時間の無駄遣いです。
人として恥ずかしくない生き方をしてるかだけ気にする
結局のところ、自分の生き方を評価できるのは、自分自身でしかないです。
その評価の軸も自分で見つけるしかありません。
僕の場合は「人として恥ずかしくない生き方をしてるかどうか?」です。
誰かは忘れましたが、本を読んでて、感銘をうけたので真似してます。
とにかく、迷ったら、それを自分に問いかけて、「YES」と答えられている限り、問題ないと思うようにしたら、その他のほとんどは枝葉にすぎなくなって、生きることがものすごく楽になりました。
だから、この「軸」は自分にあっていると思ってます。
この軸を見つけるのに50年以上もかかってしまいましたが、それまでの七転八倒も含めて自分の人生なんでしょうね。
きっと。