"BOKU"のITな日常

テクノロジー以外にも、日常には、面白そうな”イット”がつまってるんだな

ありのままの自分って何なんだよ?・・と考えてみた

f:id:arakan_no_boku:20190420010416j:plain

ありのままの自分でいいんだよ。 

こう言われて気分が悪くなる人はいないと思います。

とても耳障りが良くて、つい踊りだしてしまうような明るいイメージ・・アナと雪の嬢王に引きずられているなあ・・のある言葉です。

でも。

ありのままの自分ってどんな人間?

ありのままの自分でいるって、どうすればいいのか?

改めて考えると、よくわからないことが多いわけです。

例えば・・。

月曜日の朝、仕事に行きたくないと思う自分がいる。

体調不良ですって電話して、休んでしまおうと考える自分がいる。

いやいや・・それはダメだと考える自分もいる。

仕事なんだから、ちゃんとしなくちゃ。

たぶん、ありのままの自分はどっちかというと前者です。

でも「ありのままの自分でいいんだよ」って、それに従ってしまうと、社会的にはダメダメな人間になってしまって、そのうち自分で自分自身が嫌になって、それがストレスになるだろうな・・って思うわけです。

もうひとつ。

自分はかなりの甘党です。

朝ごはんにおはぎでも大丈夫でしたし、結婚して奥さんに禁止されるまでは、ポケットにチューブのコンデンスミルクをいつもいれてて、ブレイクにちょっとひと吸いとかしてたくらいです。

だから、おいしそうなスイーツがあれば食べたくなるのが「ありのままの自分」です。

でも、でも「ありのままの自分でいいんだよ」って、食べまくると・・まあ、普通に考えても健康に良くはない。

病気になって苦しんで後悔する羽目になるよな・・とも思います。

じゃあ。

ありのままの自分でよくないじゃん!!

そう思ってしまうのですが、いやいや・・そうではないはずです。

よーーく考えてみると。

上記の例は「ありのまま=欲望のまま」になってます。

これは違うということですね。

欲望のままはダメです。

世界にひとりしかいないならともかく、複数の人間がいて、それぞれが欲望のままに動いたら、行き着くところは果てしない戦い・・戦争・・しかないです。

だから、お互いが対等な「自由」な存在であることを認めあうルールのもとで、社会をつくって、みんなで少しずつ欲望をセーブしあうというのが、「自由に平和に生きていくための最低条件」になっていて、自分らは、そんな社会で生きてるわけですから。

そこは守らなければならない。

あと、心身ともに健康であることも同じく「楽しく生きる最低条件」だと思うので、そこも守らなければならない。

そんな最低限をおさえたうえでの「ありのまま」でないといけないみたいです。

その観点で考えていくと、ちょっとおもしろいことに気づきました。

子供のころから言われ続けた「べき論」

  • 男たるもの、こうあるべき!
  • 子どもなんだから、こうあるべき!
  • 学生だからこうあるべき!
  • 後輩だからこうあるべき!

みたいなものには、ある共通点があります。

それは「何故、そうすべきなのか?」と説明を求めても答えてくれる人がいなかったということです。

たぶん、そう言っていた「大人」もわけもわからずいわれるままに従ってきただけなのでわからなかったか、単に、自分たちに都合がよいだけなのがばれるから言えなかったのか・・その程度のことでしかないんだろうと、今は思ってます。

なんとなくわかってきました。

ようするに。

人として。

社会人として。

そんな「自由に平和に生きる」基本となっているような部分を守るのが前提。

そこを、きちんと押さえたうえで、自分にあった生き方を選択すればいい。

それが「ありのままの自分でいいんだよ」の意味だということ。

ちょっと難しいのは、守る「べき」と、気にしなくていい「べき」の見分け方。

自分も長年試行錯誤しましたが。

60歳を過ぎてたどり着いた答えは。

理由が納得できた「べき」は守る。

理由が納得できない「べき」は、気にしない。

そういうことでした。

今のところ、これが結構しっくり来てます。

はい。