"BOKU"のITな日常

62歳・文系システムエンジニアの”BOKU”は日々勉強を楽しんでます

趣味も個性もわざわざ作ろうとして作るもんじゃない

今回のテーマは「ありのままの自分でいいんです!」です。

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ありのままでいい・・が本質だと思うこと

 

ありのまま・・というフレーズは、ディズニーの映画「アナと雪の女王」の大ヒットで流行語みたいに感じてますが。

実際のところ、特別な言葉ではありません。

なんていいますかね。

やっぱ人間の本質を、一番表している言葉のひとつなんじゃないかなと思います。

もちろん。

「ありのままの自分でいい!=自分の欲望のままで良い!」じゃないですよ。  

人間として社会生活をするために必要なマナー・ルールはわきまえる。

その上で「ありのままの自分」でいれば良い。

言葉を変えれば。

他の人が決めた「こうあるべきだ!」みたいなステロタイプは気にする必要はない。

ということです。

 

昭和の時代はやたらと「こうあるべし」が多かった

 

昭和の時代に育ちました。

そのころは、事あるごとに

  • 男たるもの、こうあるべき!
  • 子どもなんだから、こうしないと駄目だ!
  • これが常識だから、それに従うのが当たり前だだ!
  • こうするのが当たり前なんだ。

などなど、とにかく人の考えを押し付けられてきました。

由もなく・・です。

子どもの時、大人に「何故?」と説明を求めても、「何でもだ!」みたいな答えにならない叱責をくらうだけでした。

子ども心になんとなく割り切れないものを、ずっと感じていたように思います。

まあ。

今の年齢になると言っていた大人側の事情もわかりますけどね。

ようするに「考えるのが面倒くさい」か「説明できないから怒ってごまかす」ためにやっていただけなんだろう(笑)でしかないですけど。

 

決めつけは、結局、ずるい大人が楽しようとしてただけ

 

結局、「こうあるべき!」という決めつけは、「管理する側が横着するための方便」なんですよね。

管理する立場にたったことのある人ならわかると思います。

管理が一番楽なのは、思考停止状態の相手です。

文句も意見もなくただ言うことをきくだけみたいな。

もちろん。

そんな組織は「管理が楽」で「管理者が威張って良い気になれる」以外のメリットは何も生まない最低の組織であって、存在すべきではありません。

管理する相手を人として認めていないということですから。

そして、それを子ども相手にやっていた昭和の時代。

それが「教育」なの?・・いまだに疑問です。

結局、何か問題があるたびに規則を増やして、監視や罰則を厳しくすることで押さえつけようみたいな感じでしたから、される側の自分らは、それに対して反発するか、従順に従うか・・みたいな二者択一を常に迫られるのです。

正直。

ほとんどの子どもは、反発を覚えつつも、従順なふりをする・・という態度をとるしかなかったのですね。

これって「教育」だったんですかねえ?

 

個性をつくるために頑張るという人

 

そんな教育をうけて育ったせいなのでしょうか?

  • ありのままの自分を認める。
  • 自分の個性を大切にする。

そういうことを大切にしようという世の中の風潮にとまどっているような人に出会うことがあります。

すなわち。

そんなことを言われても、どうしたらいいかわからない・・とか言う人です。

決めるなんてできないから、何をしたらいいか決めてくれというわけです。

そういわれても自分も困るので。

色々、話をするわけなのですが、自分の頭で考えること自体を拒否しているような感じで「そんな難しいこと考えられない」とかいって思考停止の状態に自らをおいこもうとされます。

そんなとき。

気づくんですよね。

そうか・・、自分たちが嫌でしょうがなかった「決めつけ」や「常識の押し付け」が心地よかった人達もいたんだな・・と。

そして、ありのまま・・という意味では、これがこの人の「個性」であり、「ありのままの姿」ってことなんだら、まあ、いいんですが。

 人間って、やっぱ、いろいろだなと思い知らされます。

 

趣味もなんか似たようなところがある

 

趣味の話になると、また別の話になります。

定年近くになると、「定年後に趣味くらいもたないとボケますよ」・・と言われます。

たいていは、何かしら「したいこと」を持ってて、それでなんとかなるのですが、驚いたことに本当に「無趣味」の人がいます。

まあ。

仕事にまい進していたエリートさんだったのでしょうかね。

まあ、でも別に始める年齢なんて関係ないですから、何でも興味を持ったことをやってみれば楽しいことが見つかる可能性が広がるので、それは問題ないです。

ただ。

気になることがあって。

それは「年相応の趣味」みたいな、変な枠をはめて「趣味」を選別しようとする人が結構な確率でいることです。

最初から選択肢をせばめて「庭いじり」とか「俳句」とか「ウォーキング」とか「カラオケ」とか、高齢者の趣味として認知されているものの中から選ぼうとする。

そんな感じ。

余計なお世話と知りつつ、もったいないな・・と思うことがあります。

やってみて「楽しい」と感じるのが「趣味」なのです。

その探す範囲を最初から狭めるとか、自分的にはありえないなと思ってしまうので。

もっとも。

ほんとうにやってみたいと興味をひかれたことと、その「高齢者らしい趣味」が一致している人は何ら問題はないのですけど。

 

趣味も個性もわざわざ作ろうとして作るもんじゃない

 

人間が生きている限り「個性」のない人はいません。

個性がない人が仮にいても「個性がないという個性」があることになりますから。

趣味だって同じです。

別に年齢や形にとらわれる必要はないと思うんですよね。

よくテレビに驚くような趣味をもつおじさんたちがでてきます。

例えば、この人とか

maidokansya.work

note.mu

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この人達のことを、自分は素直に「いいな」と思います。

ただただ、楽しんでる感じが素敵です。

これが「趣味」なんだと思うのですね。

 

とりあえず、自分を肯定するのが大事かな

 

短所・長所という言葉があります。

普通に考えれば

  • 短所はダメなところ。
  • 長所は良いところ。

なんですけど、実際は、そんな単純ではありません。

短所も見方を変えれば長所にもなります。

長所もまたしかりです。

だと考えれば、自分のダメなところ(短所)だって、違う見方をする人から見ると最高の長所とみてくれる可能性はあるわけです。

だから、まずは「今の自分」を自分が肯定してあげるのが大切じゃないかと思います。 

ただ・・当然ながら。

それが、世間の大部分の人と同じ考えとは限りません。 

でも、それで良いんじゃないですかね。

他の人に迷惑をかける行為でなければ、

嫌がられる必要はないけど、媚びる必要もありません。

ありのままに・・で良いのではないですかね。