"BOKU"のITな日常

還暦越えの文系システムエンジニアの”BOKU”は新しいことが大好きです。

働き方改革の本質は働く側(労働者)の働き方ではなく企業側の問題だ

働き方改革って言葉を何気につかってますけど、自分でもちょっと理解が曖昧になってる気がしたので、つらつらと整理してみました。

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まず「何故、働き方改革が必要なのか」ということ

 

さて。

まず最初は、なぜ「働き方改革」が必要なのか?・・でしょうね。

会話の中でも、たまに話題にのぼるんですが、その部分になると、人によってぶれてる気もします。

割合多いのが「残業時間削減」の狭い意味で言う人です。

でも、そんな単純なもんなら、こんな大層な言葉でわざわざ言うはずもないです。

そもそも・・はどうなのか?

自分なりに整理してみました。

ようするに。

少子高齢化労働力人口が減少している。

労働力不足が深刻化する懸念がある。

女性とか高齢者とか障害者とかにも働きやすい環境を整備して、労働力人口を底上げしないといけない

でも、現状は長時間拘束・会社側都合優先の働き方が蔓延しており、能力があっても、それにあわせられなくなったらはじき出されてしまう。

だから、そういう労働環境を改善し、働き方のバリエーションを増やし、効率的な労働力の確保に努めていくことで、労働力不足に対応していかなければならない。

こんな感じですかね。 

かなりの部分は、最初のころに何かの資料で読んだ受け売りですけど(笑)。

 

じゃあ、「働き方改革」の本質は? 

 

上記の理解にもとづいてみると現在を見てみると「特定の労働条件を満たした個人だけが遂行可能な仕事のやり方になっていること」なんでしょうね。

で・・。

なぜ、そうなるかというと、「仕事の構成要素(手順を含めて)が属人化を前提に組み立てられているからだ・・」と考えらえます。

 だとしたらですよ。

 特定の個人に依存・・つまり「属人化」・・している仕事の工程を分析して、細かいパーツにわけ、分業化できるようにしていくなどの仕事の再構築こそが、「働き方改革」の対策の本命じゃないのかと、思うわけです。 

つまり。 

時間な制約とか能力的な制約のある人が活躍するには、その制約の中でやれる単位に仕事を分業化する仕組み作りが必要で、それをしないで、単に「長時間労働するな」と指示をだすということは、「より短い時間の中で、今までと同じだけの仕事量を終わらせろ!」という無茶ぶりでしかないだろう。  

ということなんですね。 

 

働き方改革は「働く側の方法論」ではないはずです

 

そう考えるとですね。

働き方改革の「働き方」は、「多様な従業員に人間らしく、かつ、効果的に働いてもらう方法論」でないと、その目的と一致しないので、、純然たる企業側の問題です。 

ところが。

どういうわけだか、会社側は残業抑制を声高にアピールして「残業禁止命令」をだす。

それで、帰れない人間をせめる。

別に仕事量を減らしているわけでも、仕事の仕方を工夫しているわけでもなく。

そういうパターンも散見されます。

じゃあ。

それで定時で帰れないのは、社員が悪いの?

そんなわけはないのですけど、勘違いします。

そう。

働き方改革の問題として、それが「働く側(労働者)の働き方の問題」のように誤解される場合が多いというのもあるんです。 

 

ここだけは間違っちゃダメですよね。

働き方改革の本質は働く側(労働者)の働き方ではなく企業側の問題だということだけは。

うん。