"BOKU"のITな日常

62歳・文系システムエンジニアの”BOKU”は日々勉強を楽しんでます

システム開発の世界には鑑定士がいないのですよ。

優れたものは高価で、出来の悪いものはそれなりの値段でしか売れないという常識は、システム開発の世界では通用しません。

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はじめに

 

企業にとってプログラムは「無形固定資産」であり「製造成果物」です。

ようするに「モノ」です。

その価値を決めるのに

  • 作るのに、どのくらいの時間と手間がかかったか?
  • プログラムコードの量がどのくらいあるのか?

など関係ありません。

でも。

プログラムというかシステム開発だと、その常識が通用しないときがある。

今回はそういうお話です。

 

システムという「モノ」の良し悪しを図る相場は存在しない

 

システム開発のコストは、ほぼ人件費です。

ですが、単純に人数でははかれません。

プログラマの生産性の個人差は大きいですから。

下の記事によると。

ブラウザの原型「モザイク」を開発したMarc Andreessenさんなどは、「5人の優れたプログラマーは、1,000人の平凡なプログラマーよりも完全に優れています」と言っているそうです。

hbr.org

まあ実際。

あるプログラマが1月以上かけても完成させられず「無理です」と逆切れされたプログラムを、別の優秀な人間に渡したら、一から作っても3日ほどで完成させて、かつ、出来も良かった・・なんて話はゴロゴロしています。

上記の話もあながちオーバーじゃないかもなと思ってしまいます。

なので。

本来なら、お客さんに売る際に、前者の出来の悪いプログラマの成果物より、後者の優秀なプログラマの成果物がはるか高額で取引されないとおかしいわけです。

同じような茶碗でも、人間国宝の陶芸家が作ると高く売れる・・みたいに。

ところが。

システム開発の世界には鑑定士がいません。

かつ、成果物の価値を鑑定できる「お客様」もいません。

このレベルの成果物なら、これくらいが妥当という相場もありません。

だから、そういう価値のわからない人達に金額の妥当性を納得してもらうためには。

  • 開発にかかった期間
  • 開発に投入した人数

ようするに「人月」の形で「作業量」を示すしかなくなります。

こんだけの作業をした分のお金を払ってください・・という点では、時間給で働くパート・アルバイトと大差ないわけです。

 

行動経済学では常識らしいです

 

前段に書いたような話は、行動経済学という学問では常識らしいです。

システム開発の話だけでもないのですね。

どうも、日本人というのは「技術にお金を払うのには抵抗があり、目に見える努力にお金を払うのは抵抗がない」ものらしいのです。

 この本にのっている例によると。

人はマッサージのような技術にもお金を払いたがりません。

たとえば上級技術者が的確に5分で的確にあなたの疲れをいやしてくれたとします。

一方、初心者が不器用にでも賢明に30分かけて疲れをもみほぐしてくれたとします。

そうした場合、初心者の方に満足感をもつ人が多いのです。

人は技術ではなく、努力に満足感を得る傾向があります。

ここにマッサージ屋が時間制になっている理由があります。

本来ならば症状に応じて施術内容も時間も違ってしかるべきなのです。 

とのこと。

なんか・・読んでいて、思わずうなづいてしまう感じです。

そう考えると。

システム開発も、お客さんに努力している姿や、沢山のドキュメントという「形」を見せないとお金を払ってもらえない・・というのもうなづけます。

そういえば。

お役所向けの開発の仕事した友人が、納品したドキュメントの分厚さが金額の妥当性の根拠になるんだよ・・とか言いながら、大量の印刷物をコピペで作った話をしていたのを思い出しました。

新品のキャビネットをキングファイルで埋め尽くしたそうです。

たぶん、納品したら誰も見ないけどね・・と笑いながら。

なんだかなあ・・の話です。