今は、人づきあいが苦手というのも自分の個性だと胸を張って言えます。
でも、10代・20代のころは、それを認めたくなくて、多数の友人・知人がいる「人気のある人」と同じことが、その気になればできると思ってました。
なので。
真似をしてました。
表面だけですけど。
みんなと集まった時には、愛想をふりまいて、気の利いたことや面白いことをして、人気者になろうとしてました。
ところが・・。
滑りまくりの、空回り・・。
そこでやめればいいのに、よけいに焦って、卑屈になって相手の顔色を見て、話しを合わせて媚びをうる・・みたいな悪循環にはまってしまってました。
最悪です。
でも。
そういう悪循環でもがいている人間に対して、時折「君、面白いね・・なんて言ってくれるきれいなおネエさんやカッコいいお兄さん」が現れたりします。
まさしく「救いの手」。
当然、自分は大喜びです。
何も考えず、しっぽを振ってついていきました。
その結果どうなったかというと。
- 連れていかれた先が何かの宗教施設で、そこで長時間の軟禁的勧誘をうけた。
- 喫茶店で待ち合わせた「きれいなお姉さん」は高額な教育キットの営業だった。
- 君みたいな人に幸せになってほしいんだと言われてネズミ講の勧誘をされた。
- 知人とグルのスナックにつれていかれビール一杯とピーナツで数万円とられた。
- 君と僕は親友だよな・・と借金の保証人になることを強要された。
こんなことのオンパレード。
まさしく、自分は彼ら・彼女らの「カモ」でした(笑)
差し伸べられた手は全て「罠」でしかなく、ドツボにつぐ、ドツボにはまりました。
とてつもなく高い勉強代を払った気がします。
結局。
順番が違ってたのですね。
まず、自分の個性があって。
自分の個性にあった考え方、言動、行動があって。
その結果として、好かれる場合もあれば、嫌われる場合もある。
そうして、自分の個性にあった居場所が固まっていくんです。
そこを間違って、華やかさだけ求めて結果を追いかけて、それに無理してあわせようとしたり、欲をかいたりすると、やっぱ隙ができてしまうので、つけこんでカモにしようとする悪い人が寄ってくる。
社会は、そういう仕組で動いているみたいです。
もう少し、早く気づきたかったなあ・・。
まったく。