"BOKU"のITな日常

BOKUが勉強したり、考えたことを頭の整理を兼ねてまとめてます。

ろう者について、ちょっと知っているだけでも大きな違いがあるな

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僕のまわりに「ろう者」の方はいませんでした。

なので、ほとんど意識することもなく暮らしてました。

ところが。

最近、僕の奥さんが手話の勉強をはじめました。

テレビの「手話講座」や「手話ニュース」などの番組で奥さんが勉強しています。

必然的に、何気に横で僕も見ています。

なので。

なんとなく「ろう者」について意識するようにはなりました。

僕は手話はまったくわかりません。

でも、たまたま、ろう者の方が書いているブログを見つけたりすると、何となく興味を持って読んだりとかはします。

それではじめて知ったこともたくさんあります。

 

たとえば、補聴器をつけているから聞こえるわけではないこともそうです。

なんとなく、補聴器をつければ、聴者のように聞こえてると思い込んでました。

でも、聞こえているということと、「なんの音かがわかる」ことは違うらしいのです。

音は聞こえているけど、何の音かはわからない・・僕にはその状態が想像つきません。

 

もうひとつ、口話ができたら万能というわけでもないらしいこともそうです。

手話以外に口話と言う方法があるのも最近知りました。

ja.wikipedia.org

読唇術みたいなイメージで僕はとらえました。

口話の上級者は普通のスピードで話している限り、耳が聞こえる人と同じくらい自然に会話はできる人はいるらしいのです。

でも、このブログにも書いてありますが。 

happydeaflife.amebaownd.com  

引用すると。

クラスメート何人かとお茶を飲みながらたわいもないお喋りをしていた時に、みんなが一切にワーワーと喋るのですが、私には話の内容が最初だけしかわからなかったのです。

最初は、私に気を使ってゆっくり話してくれたのですが、話がヒートアップすると(盛り上がると)だんだん早口になって、しまいには笑ったりして、何がおかしいのかもわからず、一人でボツンとされたような気持になったことが何回もありました。

こういうのを読むと、僕自身が気づかずに、この友人たちのようになっていたことがないのかなと心配にもなったりします。。

 

そんなこんなでのある日です。

通勤中の電車で、終点の駅から乗り換えできる地下鉄が人身事故で全線不通になってるというアナウンスがありました。

案の定、乗り換えの改札の前は黒山の人だかり。

その時。

ふと、この人は耳が聞こえない人じゃないだろうか・・って思う人に気づきました。

ちょっと離れたところにいたんですが、奥さんと「ろう者」の方が出演するテレビ番組を見ていたので、なんとなく仕草や表情から気づけたみたいです。

気づいてしまうと、耳の聞こえない人にとって、いかに不安な状況かというのもわかってきました。

駅員さんが対応してはいましたけど、メガホンのように口元を手で覆って叫んでいたりしますし、張り紙などもありません。

ちょっと前の僕と一緒です。

この中に「耳の聞こえない人」がいるかもしれないという想像力が欠落しています。

気になって仕方ないので、その人の方に行こうとしたとき、近くにいた方(知人なのかな?)が、その人の方を向いて説明してくれたいるのが見えました。

その人の表情からも不安が消えています。

よかった、よかった。

そう思って、歩き出して、ふと「前なら、気づくことすらなかったはずなのに、気づけたってことだよな。」と思いました。

 

そうか。

知っている・・ってのは、こういうことなんですね。

テレビやブログなどで情報をえて「ちょっと知っている」だけでも、それで「気づける」という1点だけで大きな違いがあるのです。

はい。