"BOKU"のITな日常

62歳・文系システムエンジニアの”BOKU”は日々勉強を楽しんでます

ろう者の方のブログを読むまで知らなかったこと

今回は、ITと関係ないネタです。

ろうあ者の方に関連する話題です。

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はじめに

 

60年以上生きてきても、知らなかったことに日々出会います。

感覚的には。

自分の知っていることなんて、本来、知るべきことの10%くらいじゃないのか・・と思ったりもします。

最近、それを改めて感じたのが、今回のテーマの「ろう者」の方に関する話題です。

 

きっかけは奥さんとの雑談

 

きっかけは、奥さんです。

奥さんは、ここ数年、仕事や趣味でろう者の方と交流を持つ機会が増えたとかで、手話の勉強をやっています。

おかげで。

日々の雑談の中にそのへんの話題がよくでます。

奥さんがテレビの「手話講座」や「手話ニュース」などの番組で勉強しているので、何気に、自分も見ることもありますし。

なので。

自分でもろう者の方が書いているブログを見つけたりすると、何となく興味を持って読んだりとかするようになりました。

その結果。

自分は何も知らなかったのだな・・と思わされることが沢山あったということです。

その中でも特に印象に残っているのは、以下の3つ。

  • 手話教育が長い間禁止されていた時代があったらしいこと
  • 補聴器をつけているから聞こえるわけではないということ
  • 口話ができたら万能というわけでもないらしいこと

ですね。

 

手話教育そのものが禁止されていた時代があったらしいこと

 

ろう学校で手話教育が禁止されていた時期があった・・・。

最初聞いた時、「どういうこと!?」って聞いてしまったくらい意外でした。

ろう者の方のメイン言語だと思っていましたから。

それを教えないなんて、ありえないな・・と、

でも。

手話以外に、口話法という「口の形から言葉を読み取り、また、その口の形をまねることで言葉を発する」という方法があって、そちらが推奨されていたからだそうです。 

ja.wikipedia.org

とはいえ。

一口に「ろうあ者」といっても色々なはずです。

全く聞こえない人もいれば、かすかにでも聞こえる人もいます。

生まれつきの人もいれば、途中から聞こえなくなった人もいます。

などなど。

だから、手話と口話の2つのコミュニケーション法それぞれに適性もあるはず。

それを見て「その人にあった方法を選択できる」ように考える。

それが、普通だと思うんですけど、そうならなかった意味がわかりません。

口話を推進する政府の方針。

それありきで、手話は口話の習得の妨げになるということで禁止した。

政府方針に対する忖度なんですかね。

そこに「ろうあ者」の方にとって良いことなのか?という視点が感じられなくて、ちょっと腹立たしかったりもしました。

実際、いろいろ問題はあったみたいで、こちらにも、そのへんが書いてあります。

www.d-b.ne.jp

そんな問題ありありなのに。

学習指導要綱で手話を言語として教育できるように見直されたのが「2009年!!」というから、その対応の遅さに、またびっくりなんですけど。 

 

補聴器をつけているから聞こえるわけではないということ

 

もうひとつ、驚いたのは、補聴器のことです。

自分は補聴器をつければ、聴者のように聞こえてる・・そう、思い込んでました。

でも、違うらしいのですね。

ホンマかいな・・と思って、自分でも調べてみたら、なるほど、こちらのブログにも書いてありました。

tellyou.hateblo.jp

引用します。

例えば、「補聴器を付ければ聞こえるの?」と聞かれたときに、「聞こえます」だけで終わってしまう人が非常に多い。

本当は、「音は聞こえてるけど、何の音かは分かりません(判断できません)」というところまで説明するべきなのです。

そうなんですね・・。

「音は聞こえているけど、何の音かはわかりません。」

正直。

自分にはその状態が想像つきません。

でも、こちらのコラムなどにも同じ様なことが書いてあります。

happydeaflife.amebaownd.com

引用します。

そこで、先生たちは「聞こえない」ことの本質を知ったのです。

先生たちは、私が補聴器を付けていることは知っていたのですが、補聴器を付けているから、聴者のように聞こえると思っていたのです。
本当は、自分で、先生たちに自分はこうです、こうして欲しいです!と言えばよかったのです。

うーーん。

考えさせられます。

かつ、知らないというのは罪なことだな・・とも思います。

でも、間違いなく、今までの自分もこの「先生たち」でした。

意図せず誰かを傷つけてたかもしれないです。

残念ですが。 

 

口話ができたら万能というわけでもないらしいこと

 

これも驚きでした。

自分は、そもそも口話と言う存在を知らなかったのですが、知ってからは、読唇術みたいなものだとしたら、手話とかなくても大丈夫なのか?と思ってしまってましたから。

奥さんに聞いてみると。

確かに、口話が得意で、ちゃんと口が見える様にして普通のスピードで話している限り、耳が聞こえる人と同じくらい自然に会話はできる人はいるらしいのです。

それでも。

確かに限界があるとのこと。

実際、早口でしゃべりまくるおばさん相手だと、困った顔をしてる事が多いとのこと。

その話だけなら、「困ったおばちゃんだねえ」の笑い話なのですが、その後、ブログを見て笑い話ですまされないなあ・・と思ったわけです。

そのひとつが、さきほども引用したこのブログです。 

happydeaflife.amebaownd.com  

引用すると。

クラスメート何人かとお茶を飲みながらたわいもないお喋りをしていた時に、みんなが一切にワーワーと喋るのですが、私には話の内容が最初だけしかわからなかったのです。

最初は、私に気を使ってゆっくり話してくれたのですが、話がヒートアップすると(盛り上がると)だんだん早口になって、しまいには笑ったりして、何がおかしいのかもわからず、一人でボツンとされたような気持になったことが何回もありました。

みんなが楽しく話している空気を壊したくなかったので、私はひたすらお菓子を食べることに集中するしかなかったのです(笑)

とか。

この方は口話がかなり得意な方らしいのです。

だから、クラスメートの方も、つい忘れてしまうということがあるのでしょう。

たぶん。

クラスメートの誰にも悪意のかけらもないはず。

でも、この人にとっては「ちょっと辛い時間」になってしまう。

難しいなあ・・とつくづく思うと同時に、知らないということの罪も同時に感じさせられます。 

 

知ってるということは大事だな

 

そんなこんなのある日です。

通勤のため電車に乗っていたら、終点の駅から乗り換えできる地下鉄が人身事故で全線不通になってるというアナウンスがありました。

案の定、乗り換えの改札の前は黒山の人だかり。

その時。

ふと、ある人に気づきました。

確信はないですが。

この人は耳が聞こえない人じゃないだろうか・・って思ったのです。

ちょっと離れたところにいたんですが。

手話の勉強のために奥さんが見ていたテレビ番組とかをたまに一緒に見ていたので、なんとなく仕草や表情から気づけたみたいです。

そうなると。

気になって仕方なくなりました。

駅につくまえに電車でアナウンスがあるだけで、別に張り紙とかで告知されているわけではありませんし、耳が聞こえない人にとっては、何の情報もないのと同じです。

駅員さんが対応してはいました。

ですが、メガホンのように口元を手で覆っていたり、マスクをしている人がいたり、逆方向を向いていたりしています。

こりゃダメだ。

この人らも、ちょっと前の自分と一緒で、この中に「耳の聞こえない人」がいるかもしれないという想像力が欠落してる。

そう思うと、気になって先にも行けず、あたふたしてると、近くにいた方(知人なのかな?)が、その人の方を向いて説明してくれたいるのが見えました。

やれやれ・・。

よかった、よかった。

そう思って、歩き出して、ふとおかしくなりました。

朝からジタバタ。

何やってんだろ?

前なら、気づくことすらなかったはずなのに(笑)

でも。

気づけたわけです。

これは進歩だと思うんですよね。

自分なんか、テレビやブログなどで情報をえて「ちょっと知っている」だけの人です。

だけど、それでも「気づける」という1点だけで、全く知らない時より何十倍もマシになったなと思うわけです。

ということで。

知るだけ・・の大切さを再確認できたので、誰かのきっかけになれたらいいなと思い、この記事を書いたりしているわけです。

はい。