"BOKU"のITな日常

BOKUが勉強したり、考えたことを頭の整理を兼ねてまとめてます。

ろう者の方のブログを読むだけでも優しくなれたりするのです

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自分の奥さんは、仕事や趣味でろう者の方と交流を持つ機会が増えたとかで、手話の勉強をしています。

日々の雑談の中にそのへんの話題がよくでるようになって、奥さんがテレビの「手話講座」や「手話ニュース」などの番組で勉強しているので、何気に、自分も見ています。

なので。

自分でもろう者の方が書いているブログを見つけたりすると、何となく興味を持って読んだりとかするようになりました。

その結果。

自分は何も知らなかったのだな・・と思わされることが沢山あったということです。

その中でも特に印象に残っているのは、以下の2つ。

  • 補聴器をつけているから聞こえるわけではないこと
  • 口話ができたら万能というわけでもないこと

ですね。  

 

補聴器をつけているから聞こえるわけではないこと

 

自分は補聴器をつければ、聴者のように聞こえてる・・そう、思い込んでました。

でも、違うらしいのですね。

tellyou.hateblo.jp

引用します。

例えば、「補聴器を付ければ聞こえるの?」と聞かれたときに、「聞こえます」だけで終わってしまう人が非常に多い。

本当は、「音は聞こえてるけど、何の音かは分かりません(判断できません)」というところまで説明するべきなのです。

そうなんですね・・。

「音は聞こえているけど、何の音かはわかりません。」

正直。

自分にはその状態が想像つきません。

でも、こちらのコラムなどにも同じ様なことが書いてあります。

happydeaflife.amebaownd.com

引用します。

そこで、先生たちは「聞こえない」ことの本質を知ったのです。

先生たちは、私が補聴器を付けていることは知っていたのですが、補聴器を付けているから、聴者のように聞こえると思っていたのです。
本当は、自分で、先生たちに自分はこうです、こうして欲しいです!と言えばよかったのです。

うーーん。

考えさせられます。

かつ、知らないというのは罪なことだな・・とも思います。

でも、間違いなく、今までの自分もこの「先生たち」でした。

意図せず誰かを傷つけてたかもしれないです。

残念ですが。 

 

口話ができたら万能というわけでもないらしいこと

 

手話以外に口話と言う方法があります。

ja.wikipedia.org

口話を使って、ちゃんと口が見える様にして普通のスピードで話している限り、耳が聞こえる人と同じくらい自然に会話はできる人はいます。

実際、奥さんの知り合いのろう者の方がそうで、自分は言われるまで、その方の耳が聞こえないことに気づきませんでした。

それでも。

限界はあります。

さきほども引用したこのブログにも書いてありますが。 

happydeaflife.amebaownd.com  

引用すると。

クラスメート何人かとお茶を飲みながらたわいもないお喋りをしていた時に、みんなが一切にワーワーと喋るのですが、私には話の内容が最初だけしかわからなかったのです。

最初は、私に気を使ってゆっくり話してくれたのですが、話がヒートアップすると(盛り上がると)だんだん早口になって、しまいには笑ったりして、何がおかしいのかもわからず、一人でボツンとされたような気持になったことが何回もありました。

みんなが楽しく話している空気を壊したくなかったので、私はひたすらお菓子を食べることに集中するしかなかったのです(笑)

とか。

この方は口話がかなり得意な方らしいのです。

だから、クラスメートの方も、つい忘れてしまうということがあるのでしょう。

たぶん。

クラスメートの誰にも悪意のかけらもないはず。

でも、この人にとっては「ちょっと辛い時間」になってしまう。

難しいなあ・・とつくづく思うと同時に、知らないということの罪も同時に感じさせられます。 

 

知ってるということは大事だな

 

そんなこんなのある日です。

通勤のため電車に乗っていたら、終点の駅から乗り換えできる地下鉄が人身事故で全線不通になってるというアナウンスがありました。

案の定、乗り換えの改札の前は黒山の人だかり。

その時。

ふと、ある人に気づきました。

確信はないですが。

この人は耳が聞こえない人じゃないだろうか・・って思ったのです。

ちょっと離れたところにいたんですが。

手話の勉強のために奥さんが見ていたテレビ番組とかをたまに一緒に見ていたので、なんとなく仕草や表情から気づけたみたいです。

そうなると。

気になって仕方なくなりました。

駅につくまえに電車でアナウンスがあるだけで、別に張り紙とかで告知されているわけではありませんし、耳が聞こえない人にとっては、何の情報もないのと同じです。

駅員さんが対応してはいました。

ですが、メガホンのように口元を手で覆っていたり、マスクをしている人がいたり、逆方向を向いていたりしています。

こりゃダメだ。

この人らも、ちょっと前の自分と一緒で、この中に「耳の聞こえない人」がいるかもしれないという想像力が欠落してる。

そう思うと、気になって先にも行けず、あたふたしてると、近くにいた方(知人なのかな?)が、その人の方を向いて説明してくれたいるのが見えました。

やれやれ・・。

よかった、よかった。

そう思って、歩き出して、ふとおかしくなりました。

朝からジタバタ。

何やってんだろ?

前なら、気づくことすらなかったはずなのに(笑)

でも。

気づけたわけです。

これは進歩だと思うんですよね。

自分なんか、テレビやブログなどで情報をえて「ちょっと知っている」だけの人です。

だけど、それでも「気づける」という1点だけで、全く知らない時より何十倍もマシになったなと思うわけです。

ということで。

知るだけ・・の大切さを再確認できたので、誰かのきっかけになれたらいいなと思い、この記事を書いたりしているわけです。

はい。