"BOKU"のITな日常

還暦越えの文系システムエンジニアの”BOKU”は新しいことが大好きです。

失敗や挫折を経験していない人は、本当に尊敬すべき人にはなれない

俺は失敗したり、挫折したことはない!・・そんなオーラを出している「成功者」の方々と会う機会があったのですが、どうも・・素直に凄いなと思えない理由を自分なりに考えてみましたというお話です。

 

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すごい人なんだろうけど、お近づきになりたくないと思う人

 

経営者とかが集まる会合やパーティ的な催しがたまにあります。

自分はそういう場が嫌いなので、いつも逃げ回ってたのですが、自分も役職についていたりした時、どうしても逃げられずにでる羽目になる時があります。

そんな時。

たまに自信満々の成功者オーラ出しまくりの人がいます。

もう自信満々で、自分の成功をみじんも疑っていない。 

失敗とかしたことがないんだろうな・・。  

すごい人なんだろうな。

とは思います。 

でも、あまりお近づきにはなりたいな・・とも思ってしまうわけです。(笑)。

何でだろう・・を考えてみました。

 

ひがんでるわけじゃないですよ。

 

その人達が、成功している分野において能力的に優れている。 

それは間違いないはず。 

素直に「凄いな」と思います。 

パチパチパチ・・・。

だけど。

正直な気持ちとして。

尊敬できるか?

見習っていきたいか?

そう聞かれると、困るのですね。

そもそも。

凄いなと思うことと、尊敬できることは違います。

見習うというか、その人みたいになりたいか・・っては、もっと別次元の話ですしね。

 

人として薄っぺらい感じがするからかな?

 

じゃあ。

なぜ、「お近づきになりたくもなく、尊敬したくもなく、見習いたくもない」と思ってしまうのかなんですが。

まず、お近づきになりたくない理由。

これは簡単です。

個人的に、なんか「息苦しさ」を感じているからだと思います。 

なんか、「俺はすごいだろ!かっこいいだろ!」みたいな自己主張オーラが強くて圧倒されている感じって楽しくないですからね。

もうひとつ、「尊敬したくもなく、見習いたくもない」理由。

それは、その人について「失敗したり、挫折した人の痛みを知らないんだろうな」と思えてしまうからだと思います。

基本的に。

自分は、痛みを知らない人を信じません。

痛みを知らない人は「優しいふり」はできても、「本当の意味で優しくなる」ことはできないと信じてますから。

優しさのない人間って・・。

魅力ないですよねえ。

人として、すごい薄っぺらに感じてしまう。

そういう人と一緒にいる時間は楽しくないです。

時間の無駄だなと感じてしまう。

我ながら、ひどいこと言ってますが(笑)

 

褒められたがっていると感じる人は褒めたくないからかな?

 

痛みを知らなくても「成功者」にはなれます。

実際、いっぱいいます。

そういう人は。

会ってお話すると何となくわかります。

そんな時に自分が一番に恐れるのは、相手に気に入られてしまうことです。

仕事上のつきあいで会ってたりするときには、矛盾してしまうのですが、一時期は良くても、後で色々とお誘いを受けたりするのは嫌なんですね。

これが、難しい。

表面的にはにこやかに話はしないといけませんし。

お仕事の一環ですから。

でも、続けてお誘いをうけたことは、今まで一度もありません。 

有難いことに、自分は、そういう「成功者」に好かれないタイプらしいです。 

理由はなんとなくわかります。 

まず、自分は嘘をつくのが下手です。

なので、心の中で「お近づきになりたくない」と思っていることを、大人のマナーとして顔や態度にはださないようにしてるんですけど、ばれているんでしょうね(笑)

まあ。

個人的には全然困らないんですけどね。 

仕事は別として(笑)

 

尊敬できる人に共通すること

 

もちろん。

会って話をして、素直に尊敬できるし、見習いたいと思った成功者も大勢います。

その違いは頭で論理的に判断しているわけではなく、かなり感覚的です。

なので、共通することを括りだすのは難しいのですけど、あえて、言うならば、ひとつは「謙虚な態度」ということになるでしょうか。

そういう人は、他の人よりも「優れた能力」や「人としての凄さ」を持ってます。

でも、それが当人にとっては普通なわけです。

無理してアピールする必要を感じていない。

だから、自然にふるまえるし、謙虚にもなる。

それが本物ということなんでしょうかね。

もうひとつは。

時折、話される「自身の挫折や失敗の経験の話が面白い」ことです。

聞いて、本当にタメになるなと思えることも多いです。

話を聞いて「失敗の経験って決してマイナスではないんだ。」と思えたり。

さらに、「失敗の経験をしたから、それを乗り越えてきたからこそ、こういう凄い人格になれたんだろうな。」と思えたり。

そういう話を聞いていると、人間としての深みって、挫折や失敗の経験を乗り越えるところから生まれてくるんだなあ・・と思えるのですね。

よく考えてみれば・・。

見習いたい。

そう思うのは、そう思った時だったような気がします。

 

失敗はやる気のない時にはしなかったなと今更気づく

 

そんなことをツラツラ考えつつ・・。

還暦を超えた年齢になって、やっと気づいたことがあります。  

それは、「失敗は、やる気のない時にはしなかった」という事実です。 

考えてみれば、当たり前です。 

やる気のないときは、言われたこと以外しません。 

自分からすすんでやることはありません。

だから。

言われたことが、ちゃんとできなくても、それは、「ちゃんとやらないで怒られた!」というだけであって、「失敗」ではないんです。 

じゃあ、「失敗」するのはどんなときか?

それは、心をいれかえてやる気をだした時です。 

もちろん。

最初の方は気持ちだけで、まだ能力がありません。 

まあ・・失敗しますよね。

失敗して。

前に失敗したところは、修正して。

それでうまくいっても、調子にのって余計なことをやって、また、失敗する。 

やってるときは辛いんですけど、とことん前を向いているからこその失敗って、「失敗の経験って決してマイナスではないんだ。」と思えるような経験に化けることも多かったって思えるのです。

 

自分で自分の後始末をする経験も大事だな

 

それに加えて・・ですが。

自分の失敗をどうケリをつけるか。

これを学べたのも大きかったです。

できるだけ自分の失敗は自分で後始末をつける。

この当たり前のことを、きちんとやってきたか、そうでないか。

この差は大きいなと思えます。

自分の経験で考えても。

自分で苦労して後始末をつけた経験は、ノウハウを学ぶことができた得難い経験になってることが多い気がします。

そういえば、「自分で失敗の後始末をすると、失敗の原因(なぜ、失敗したのか)を体に刻み込むことができて、同じ失敗を本能的に避けられるようにもなるんだ。」と話をしてくれた人もいました。

その通りだとも思います。

それに何よりも。

自分で失敗して、落ち込んで、それでも歯を食いしばってチャレンジする。

そういう経験を自分でしているから、他人がそういう状態にあることを察知できるし、心情を理解することができます。

そんな時に「自分はどうしてもらいたかったか」がわかるから、結果的に優しくもなれるし、感情移入することもできる。

これが大きいんですよね。

まあ。

結局、自分は成功者にもなれるほどの能力はありませんでした。

普通の人として、世間に埋没しています。

それでも。

失敗や挫折に立ち向かった経験があるからこそ、「失敗や挫折を経験していない人は、本当に尊敬すべき人にはなれない」ってことを実感できるし、なんとなくでも、そうでない「成功者」をかぎ分けて、無駄な時間をそういう人達に対してベンチャラすることで浪費するという愚から逃れらるのに役立ったのなら、無駄ではなかった。

そう思えてます。

それだけで、全然OKなんですね。

個人的には。

うん。

 

追記

 

マウスの実験のことでしかないとも言えますが、失敗がらみの話題で面白い記事がありました。。

gendai.ismedia.jp

失敗が多いほど、早く学習できる・・ってのは、なんか、真理な気がしますね。