"BOKU"のITな日常

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失敗や挫折を経験していない人は、本当に尊敬すべき人にはなれない

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目次

失敗や挫折を経験していない人は、本当に尊敬すべき人にはなれない

あくまで僕の個人的な思いです。

だけど、60年以上生きてきた経験から信じていることです。

 

成功者オーラ出しまくりの人と話すのは苦痛でした

部長とかの肩書がついてたころ。

仕事のおつきあいで、自己啓発的な会合やパーティ的な催しのお誘いをうけることが良くありました。

僕はそういう場が嫌いなので可能な限り断るのですが、立場上、どうしても断れずに出席しなければならないときがり、そこで、自信満々の成功者オーラ出しまくりの人に会うことがありました。

話す言葉の端々に以下のような想いがもれてきます。

  • 俺のすることに間違いはない。
  • 俺に失敗なんかありえない。
  • 挫折なんて、俺の辞書には存在しない。

自信と野心がほとばしるお話を、熱く語っていただけたりしたのですが・・。

ごめんなさい・・正直、苦痛でした。

いちおう、「はーー。凄いですね。」とか相槌をうって話をあわせてはいますが、心の中では、どうやってこの場から逃げようかと考えていたわけです。(笑)

失礼とは思うのですけどね。

いかんともしがたかったです。 

 

裕福さや地位は尊敬できる人である理由にはならない

もちろん、ちゃんと話はは聞くのですが、自分にとって「尊敬(リスペクト)すべき人」に思えないのは仕方ないです。

自分の経験から。

  • お金持ちである。
  • 社会的に高い地位についている

こういうことと、自分が「尊敬(リスペクト)すべき人」だと思えること間に相関性がないことを嫌というほど経験させてもらいましたから。

そう。

この人はすごいと思ってつきあってみたら、「ゲス」だったり「いやらしい考え」とか「差別的な考え」をもっててショックをうけた・・というような経験を何十年にもわたってやってきたわけです。

 

追い詰められたときの本性は経験するまで自分でもわからない

うまく行っている時に人の本質はわかりません。

本質がゲスな人でも、余裕があるときは良い人を装えます。

悪人が善人の演技をすることもできるのです。

でも。

うまくいかなくなったとき、本質が露呈します。

失敗とか。

挫折とか。

そういうことで追い詰めらえたときに、どんな本性があらわれるのかって、実は本人ですら、わかってないんですよね。

だから、事前に治しようがありません。

そういう意味で、社会的にダメージの少ない若いときに「失敗や挫折した時の自分の本性を知らないできた」人というのは、とても危うい存在だと、僕は思ってます。

 

本当の痛みも経験しないとわからない

同様に、失敗や挫折がもたらす、肉体的・精神的な痛みも経験しないとわかりません。

特に心の痛みの部分は想像すらできません。

悲しんでいる誰か。

落ち込んでいる誰か。

そいういう人に「がんばれよ」とか「大丈夫だよ」なんて言葉をかける程度のことはだれでもできますし、優しい心遣いができるつもりにはなれます。

でも、それが何の役にもたたない場合があることも経験しないとわかりません。

僕自身の経験ですけど。

僕も挫折して心が折れかけているときがありました。

具体的なことは書きたくないですけど、本当に死んだほうがマシと思うくらいでした。

そんなときって、下手に「がんばれ」とか「大丈夫」なんて声をかけられると、その「がんばれ」に傷ついたり、無責任な「大丈夫」に怒りがこみ上げたりするのです。

何もせず放っておいてあげる方が本当は優しいときもあるってことは、自分自身でその状態を経験しないとわからないな・・と、そのとき思ったのです。

 

だから、経験しない人が優しいわけがない

失敗も挫折も経験したことがない。

つまり、それに伴う「身体の痛み」も「心の痛み」も経験したことがない。

そんな人間が「優しい」わけがなく、人として、すごい薄っぺらである可能性は高いと、どうしても思ってしまいます。

そういう人を尊敬(リスペクト)できるわけないですよね。 

失敗や挫折を経験していない人は、本当に尊敬すべき人にはなれない。

僕はそう信じてます。

 

失敗や挫折が経験できるのも運なのです 

かといって。

失敗や挫折なんてしようと思ってできるものではありませんしね。

失敗や挫折の経験ができること。

そしてそれを乗り越える機会を与えられること。

それ自体も運なんだと思います。

失敗も挫折もなくうまくいっているときは、それが最上であるように思うのですけど、実は、本物になれるチャンスにまだ巡り合っていないともいえるわけです。

だから「失敗した」とか「挫折をあじわった」というとき。

正直、つらいですし、悲しいですけど。

それでも。

そこをなんとか乗り切ることができたら、一段「本物」に近づける機会が与えられたんだと、あとで思える可能性はあるということなんだと、僕は思います。 

うん。